本年最初の定例登山会、いつもの宮島弥山です。
宮島桟橋前の要害山(27m)で、ストレッチなど済まして、まだ正月飾りの残る町屋通りを
紅葉谷へ。
紅葉谷コ−スを登って弥山山頂へ。
昼食は例年通り、弥山本堂裏手の広場で摂りました。
下山は博打尾コ−スを下ります。
博打尾コ−スの博打尾の先に「紅葉谷別れ」がありますが、ここでは紅葉谷へ下りず、
直進して500mばかり下った先で左折し、宮島桟橋方面に向かいます。
階段が多く急登が多い宮島の登山コ−スの中で、この博打尾コ−スは全てが自然の山路で、
勾配が緩やかです。
その分、長距離を歩きますが、眼下に開ける厳島海峡の眺望が抜群です。
ここ数年、弥山本堂の裏手の広場を、昼食時に使わせてもらっていますが。
この本堂のことを私自身、全く知りませんでした。
今回、ごく簡単ですが調べてみましたところ、とても由緒あるものでした。
「弥山」
唐から帰国した弘法大師が宮島に立ち寄った際、山の形が須弥山に似ているので
弥山と名ずけた。
あるいは、元は御山(おやま、みやま)と呼んでいたのが弥山になった、などの
説があるようです。
尚、国土地理院の山頂の三角点の名称は二等三角点「みせん御山」です。
「弥山本堂」 撮影 Abe
消えずの火(霊火堂)の向かいにあります。
本坊が大聖院。
806年、弘法大師の開基とされる。
本尊は虚空蔵菩薩。
広島新四国八十八ケ所霊場の最後八十八番札所です。
「求聞持堂 ぐもんじどう」↓ 弥山本堂の裏手にあり、弘法大師が
百日間の求聞持の修法を行ったとされる。
「弥山本堂内部」 撮影 Abe
弥山本堂内に安置されている宗盛の梵鐘↓(むねもりのぼんしょう)。
重要文化財です(平安時代)。
平清盛の三男である、平宗盛が寄進したと言われています。
ちなみに、平宗盛は平家最後の総大将で壇ノ浦の戦いで敗れました。
「頂上展望台] 撮影 Abe
売店は、いつものように営業していました。
建物が古くて水はけが悪く、2階のコンクリ-ト床面など、いつも雨水が溜まっていました。
1月7日から解体が始まるそうです。
最後になるかもということでしょうか、展望台に上がる人も沢山いました。
これが定例の新年登山での見納めでしょうか。
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