前回が2008年であるから6年ぶりの呉娑々宇登山である。
畑賀町の水谷峡から、呉娑々宇山の稜線に上がって北上、頂上を目指す。
頂上からは、登った稜線を折り返し、高尾山の分岐まで戻ってくる。
ここからは西へ伸びた支尾根へと入っていく。
支尾根の行きつく所に高尾山岩峰。
この高尾山岩峰の直下に岩谷観音跡がある。
岩谷観音跡の分岐から中国自然歩道のコ-スを下り、上温品バス停へ降りていく。
バス停からは広島駅新幹線口に停車する路線バスが10〜15分間隔で到着する。
ここからの交通の便は甚だ良好だ。
尚、朝は「芸陽バス畑賀行」を利用する。
畑賀の「随木屋橋バス停」に9:12着の便を降り、そこから地域の農道を登山口まで
30分ほど歩いた。
水谷峡(みずたにきょう)から呉娑々宇山へ登る
広島市安芸区畑賀町の水谷峡から登った。
呉娑々宇山の南側斜面に源を発し、畑賀の地域を流れ下る小さな川がある。
その川の上流、山隘の沢の部分が水谷峡である。
登山道はその沢床に沿って登っていく。
入口から30分余りで通り抜けてしまうような峡谷だが、
夏場でも水が枯れることは、あまりないようで、岩や滝などを楽しめる。
入口から少し入った所にある東屋には、持ち帰り自由な、この辺のル-ト地図が常備され
谷筋に水車や木彫りの仏像があったりする。
これらの事は、ずっと昔からボランティアの手で、行われているようだ。
この日は梅雨の晴れ間で気温が急に上がり、イライラするほど蒸し暑い日だったが、
涼しさいっぱいの水谷峡から登ることで、本当に救われた。
大日如来像
沢に別れを告げた登山道は、そこから急な斜面を這うように登っていく。
その急斜面の途中の大岩に、このレリ-フがある。
平成元年との日付けがある「説明書き」には「水谷峡の開発に尽力された人の供養と
地域発展の願いを込め、併せて登山者の無事と幸福を祈り、中山町在住の
三浦三成氏に依頼し創られた。
(中略)
氏は早朝の暗い谷間をランプを片手に重いノミを背負い、雨の日も風の日も
一心不乱に堀り続け、82日間で、この像を完成させた」とある。
高尾山岩峰
呉娑々宇山稜線から、水分峡の背後を西の方に伸びる支尾根の突端が
高尾山岩峰だ。
高尾山の頂上(三角点)は、東側の鞍部を挟んで向こう側にある。
この突端の岩峰からは、広島市街と広島湾や瀬戸内海の島々が、一望の下に見渡せる。
三方を山に囲まれた広島は、いろんな山から展望がきくが、ここは、それらの中でも一二を争う
展望スポットに思える。
あいにくこの日は気温と湿度が高く「もや」が出ていて、遠くの島などは隠されていたが、
それでも、足元から広がる光景を見て、後から上がって来る人達の眼が一瞬輝いていた。
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